HOSE 1stアルバム

 HOSEの1stアルバムが送られてくる。
 メンバーは知り合いだらけだし、これまで何度も演奏は聴いている。が、ここはあえてゆっくりパッケージを開け、居住まいを正して聴く。

 いや、とんでもないアルバムだ、これは。

 一曲めから、やらねばならぬことだけをやっている。

 途中から音量を上げて聴く。三三七拍子のあとに鳴らされる泉くんのベースが、部屋を揺らす。まるで部屋がまるごと巨大な点取り占いと化したように、一度一度異なる託宣に震えている。それがずっと続く。
 常識的に考えれば、この気が遠くなるような繰り返しを傾聴することに、人は耐えられるはずがない。演奏する方だって耐えられるはずがない。あまりの荒行に、トランペットのアンブシェアが崩れていくのがわかる。演奏者自身がおかしさに負けて落ちていく。なのに、三三七拍子だけが残っている。国破れて山河あり。三三七拍子の前に、人の生のなんとはかないことだろうか。

 アルバムは、そのような酷薄さと生のいいわけに満ちており、生活が肯定されようとするときには、なぜか三三七拍子が鳴る。生活が否定されようとするときには、珍妙なリズムが鳴る。立ち上がろうとするときには椅子が鳴る。意外にも美しいメロディが漏れる。それは、人の力ではどうにもならない。
 既成の音楽からすれば、あまりに罰当たりで破壊的な内容ではある。けれども、じつは罰当たりなのは、人の力で音楽はどうにかなると思っている既成の音楽家のほうではないか。

 音楽は人の力ではどうにもならない。
 とんかつは人の力ではどうにもならない。

 とんかつを揚げるのは油。油で揚がるのだ。HOSEのアルバムは、そのことに、とても律儀だと思う。