106才を折り返し、月に触れる

 オバマの勝利演説はすごかった。

 とりわけ後半、106才の婦人の指先が電子投票スクリーンに触れる瞬間を起点に、過去106年と未来106年を折り返すくだりは、壮大なる名調子である。そこで語られている歴史は、多分に紋切り型であり、いかにもアメリカ的まとめ方なのだが、そうしたことも忘れさせるほど、コンパクトで鋭いことばの対比が重ねられている。月面にタッチする足と電子投票スクリーンにタッチする指とを重ね合わせることで、その場にいる人に、月に触れるような衝撃を与えている。

 あちこちのサイトで全文を読めるが、以下のリンクをとりあえず貼っておこう。

http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2008/nov/05/uselections2008-barackobama

 以下、その後半部分。

この選挙では、数々の初めてのできごとが、そして多くのエピソードがありました。それは何世代にもわたって語り継がれるでしょう。でも、今夜わたしの頭に過ぎるのは、アトランタで一票を投じたという一人の女性のことです。彼女もまた、他の何百万人もの人と同じように、行列に並び、この選挙に自らの声を投じました。けれども、ただひとつ違っていたのは、彼女、アン・ニクソン・クーパーは106才だったのです。

彼女は奴隷制がようやく終わりを告げた世代に生まれました。道には車もなく空には飛行機も飛んでいませんでした。彼女のような人は二つの理由で投票できませんでした。ひとつには女性という理由、そしてもうひとつには肌の色という理由で。

今夜、わたしはアメリカで彼女が過ごしてきた20世紀に思いを馳せます。痛みと希望に、苦闘と進歩に、無理だ we can't と言われてきた日々に、それでも突き進んできた人々に、彼らのたずさえていたアメリカの信条に -- Yes we can.

女性の声が封じられ彼女たちの希望が潰えたときにも、彼女は生きていました。そして、女性たちが立ち上がり声を上げ投票権を手にするのを見ました。Yes we can.

黄塵地帯が絶望に覆われ、国中を不況が覆ったときも、国民がその脅威をニューディールによって、新しい雇用によって、新たな公共目的に目覚めることによって乗り越えるのを、彼女は見ていました。Yes we can.

爆撃が湾に落とされ、暴虐が世界を脅かしたときも、彼女はそこにいて、当時の国民が気高く立ち上がり、民主主義が守られるのを、目撃しました。Yes we can.

彼女はそこにいました。*モンゴメリーのバス、バーミングハムの放水、セルマの橋。そしてアトランタからきた一人の牧師。その牧師は人々にこう言いました「We shall overcome. われわれはきっと乗り越える」と。 Yes we can.

一人の男が月の上に降り立ち、一つの壁がベルリンで倒れ、世界はわたしたちの科学力と想像力によって一つにつながりました。そして今年、この選挙で、彼女の指は電子スクリーンの上に降り立ち、彼女の一票を投じました。アメリカで106年の人生を過ごし、最良の時も最悪の時も知っている彼女は、知っていたのです。アメリカがどう変わりうるのかを。Yes we can.

アメリカ、わたしたちは遠くまでやってきました。多くのことを見てきました。しかし、まだまださらに多くのことをやらねばない。だから今夜、わたしたちはわたしたち自身に問おうではありませんか。もしわたしたちの子どもが次の世紀まで生きるとしたら、もしわたしの娘達が幸運にもアン・ニクソン・クーパーのように長生きしたとしたら、彼女たちはどんな変化を見るのか。わたしたちはどう進歩していけるのか?

今こそこの問いに答えるときです。いまこの瞬間こそわたしたちのもの。いまこそわたしたちの時なのです。人々を仕事に就かせ、子ども達に門戸を開く時。繁栄を取り戻し、平和への足がかりを作る時。アメリカン・ドリームを再び宣言する時なのです。もう一度確かめましょう、根本的な真実を、なによりもまず、わたしたちが一つであることを、息をしていること、希望を持っていることを。そして冷笑や疑念に会っても、無理だ we can't と言い張る人に会っても、わたしたちは答えましょう、あの、人民のスピリットを変わらず表し続けてきた信条を唱えて。Yes We Can.

ありがとう、みなさんに神のご加護を。そして神のご加護がthe United States of Americaにあらんことを。

(Barak Obama's victory speech in Chicago, Nov. 5 2008 和訳:細馬)

*「血の日曜日」の歴史とキング牧師の演説を指している。