友達@世田谷シアタートラム(岡田利規演出)

 11/22のマチネーで、「友達」を観た。

 舞台には、建材用の金属パイプを曲げてつないだだけの、簡素な部屋らしきもの。そこには壁も、床の間仕切りすらなく、二つのドアがなければ、それは部屋とすら判らない。

 冒頭、まだ薄暗い舞台の上を、闖入者たちが現れ、パイプの存在を気にすることなく、思うまま舞台を縦横無尽に歩く。

 この、不思議な導入部は、安部公房の原作と比べると、圧倒的に違っている。
 確かに安部公房の原作には、「ドアを含めて、すべての家具調度が、可能なかぎり単純化され、省略されていることが望ましい」とある。しかし、その一方で、原作には「家具、調度をふくめて、赤っぽい粘土色、もしくは灰色で統一されていること。上手、手前に、台所に通ずるドア。下手、奥に、別の部屋に通ずるドア。下手、手前に、玄関のドア。(中略)玄関わきに、格子状の靴箱。」などと、舞台の配置配色は事細かに記されている。おそらく、「可能なかぎり単純化され、省略されていること」というのは、あくまで抽象性を高めるための指示だったのではないか。

 ところが、この舞台の「部屋」は、抽象どころではない。
 下手と上手のドアには、玄関と室内の意匠の区別すらない。どちらも、プレハブ用の、ホームセンターにありそうなものだ。あとで闖入者が下手から礼儀正しく、「ごめんなさい、すっかり遅くなってしまって」と入ってくるから、かろうじてそこは玄関に見えるのだが、実際には、上手のドアと全く同じである。

 なによりも重大なのは、壁の不在だ。
 この主人公の「部屋」には、壁がない。

 壁があり、玄関があるならば、劇はとりあえず「平凡な男」を主人公として始まるし、そこにやってきたものを「闖入者」として位置づけるところから始めることができる。ところが、この舞台ではもはや、そうした区別すらが無効となっている。
 もう舞台の冒頭から、部屋はあってなきが如きなのだ。

 闖入者達がいったん舞台から降りたあと、舞台が明るくなると、一人の男が、牛の着ぐるみパジャマを来ている。原作ではこの男は「三十一歳、商事会社の課長代理」なのだが、ここではそうした職業を微塵も感じさせない、幼稚で奇矯なかっこうをしている。
 主人公は電話をする。耳障りな音でちっちっちっちと舌打ちのような音。主人公が「違うよ、故障じゃないよ、キッスだよ」と言わなければ、それはキスの音とはとうてい思えない。

 このように、主人公は奇矯な格好をした、耳障りな舌打ちを発する男で、どう考えてもまともじゃないのは主人公であると思わせる演出である。
 どうやらこれは、正常な主人公の感覚が闖入者によって徐々に冒されていくのを楽しむ、という舞台ではない。あらかじめ蹂躙され、部屋の体をなさなくなった場所を、わずかな手がかりをよすがに住みかとしているあわれな男のもとに、やたら正論を吐く人達が訪れる、ということらしい。

 物理的な壁だけではない。舞台設定としての壁すらも、この演出にはない。登場人物たちは、一応ドアを使って出入りすることはあるものの、それは、演劇上のお約束を少しなぞってみた、という程度で、あとはドアにこだわることなく、組まれたパイプの下(そこは「壁」として想定されそうな場所だ)を堂々と通過してしまう。  
 麿赤児にいたってはステッキをふるって暴れ出すと、パイプの下を通過しながらカンカン鳴らしてしまう。こうなるともう、パイプは部屋の枠組みですらない、ただの金属の空洞に過ぎず、それはかき鳴らされるギターと同じく、従順に音で反応する物体に過ぎない。

 こんな風に、部屋であって部屋でない演出だから、最初は、この舞台は一種の「部屋論」なのかなと思って見ていた。部屋がもはや部屋でなくなってしまった者が、どこでどうやって住み為していくかという話。

 が、「部屋論」だけでは説明できないことも起こる。

 本来は壁の中で、役者どうしで交わされるはずの台詞も、壁の中で閉じてはいない。言わずもがなの台詞を言うために、役者はしばしば、舞台の前面に出てきて、いかにも客席に向かって言ってます、という風情で台詞をきめる。それは、客席の共感を呼ぶための素振りというよりは、むしろ、壁を持たぬ世界に生きる人々の異文化的振る舞いに見える。

 この、舞台から客席への非-問いかけは、くどいほど繰り返される。途中、若松武史が観客席へと移動しても、観客との一体感はほとんど起こらない。
 麿赤児の突拍子もない身体動作、木野花若松武史の舞台で叩き上げた発声は、別の舞台であれば、観客を巻き込んで離さないだけの力を持っているはずのものだ。しかし、この演出では、彼らの舞台的動作や声のほとんどは、空振りに終わる。彼らの動きや声が、彼らのホームグラウンドを喚起させるだけの力があるだけに、その空振り度は、ものすごい。今回、この出演メンバーと組むことによって岡田利規氏が得たのもののひとつは、おそらく、この空振りの「大きさ」なのだろう。

 管理人さんがやってくると、スポットライトが当たる。服の色がよくわかる。しかし、管理人さんは、スポットライトを浴びるにふさわしい何かをするわけではない。ここでも空振りなのである。そういえば、スポットライトを投げる場所というのは、舞台とどういう関係にあるのだろう。このスポットライトは、誰が、何の権限によって、投げかけているのだろう。そこは、舞台の声の届く場所なのだろうか。


 どうやら、これは「部屋論」である一方で「舞台論」であり、声の空間論でもあるらしい。

 人と人とが声を交わすことのできる空間はどこにあるのか? たとえば、相手が目に見える場所にいるだけで、その相手は声の受け手であることが保証されるのか? もし目の前にいるだけでは足りないのなら、どうすれば声は届くのか?

 そういうことをこの舞台を見ながら考えていた。

 後半、原作では舞台が公園へと移るはずの場面でも、部屋を表すパイプは取り除かれない。闖入者たちの手によって部屋の下に堂々とベンチが置かれ、部屋内公園ができてしまう。主人公は部屋の中につるされたハンモックにくるまったまま、その、部屋のような公園にやってきた婚約者と、目を合わすことなく語らう。ハンモックの中で主人公が体位を変えると、微かにトーンが変わる。声は眠りの回路を使って通う。おもしろい演出だ。

 しかし、ぼくがいちばんショックを受けたのは、後半、檻に入れられて冷たくなっていく主人公に向かって、次女がマイクで語り出した場面である。
 それまで、挿入歌をカラオケ的に歌うために使われていたマイクが、じつは、声と距離について考えるための道具として扱われていることに気づかされたからだ。
 この、マイクごしの声は檻の中に向けられているらしい。マイクによってのみ、声が届けられる場所が、檻の中なのだ。だとすれば、さっきまで挿入歌をマイクごしに聞いていたわたしたちもまた、檻の中なのだ。

 そういえば、カラオケというのは不思議な場所だ。あの箱のような部屋の中で、ささやきだって聞き届けられるはずの場所で、わたしたちは音楽を拡声し、声を拡声し、わざわざマイク越しに何かをがなっている。あの声は、誰に聞かせるために拡声されているのだろう。あの声が、何らかの通路を通って、どこか知らない檻に通じているのだとしたら、それはどんな檻だろう?

 舞台終盤、もはや主人公が死んでしまったあと、次男は、舞台と客席との接面で後ろ向きに立ち、あたかも何かが聞こえたように、不審そうに振り返る。それがどこから来た声なのか、客席からは察するよすががない。この舞台は、客が察するときに使おうとするよすがをことごとく覆してきた。だから、ここでも、客は空振りを観るしかない。
 呉キリコがセーラー服のまま、舞台前面に立ち、客席に向かって片足をあげて奇妙なポーズをする。しかしこれもまた、客に何かを判らせる、というものではない。

 この舞台を通して一貫してあった唯一の壁は、舞台と客席の間にあったように思う。登場人物のしぐさや台詞は、方向こそ客席に向いていたが、それらはむしろ、客に届けることを拒むかのように、あらかじめ伏線も客への親密なそぶりも注意深く排されていた。(唯一、木野花若松武史が客席に親しげにことばをかける場面が一カ所あったが、あれは、むしろこの劇の中では浮き上がった、インターミッションのように見えた。)

 客に届けることを通してこの世でない誰かにことばを投げるのが既存の舞台だとしたら、この舞台は、客に向きながら客に届けることを拒むことを通して、この世でない誰かへの隘路を築こうとしているように見える。
 名だたる役者を配しているからだろうか、今回の演出では、やや空振りの大きさのほうを強調しすぎている気もした。が、問題は、しぐさやせりふが空振りすること自体ではなく、それがどのような隘路を開けているか、だろう。そして問題はつまるところ、舞台がどうだったかではなく、こちらが舞台から何を持ち帰ったかだ。

 それで、こうやって、舞台を観て持ち帰った考えをつらつら書いている。この文章にだって、どこかに隘路があるはずなのだ。

声の召喚

 オバマの演説を聴いていると、つくづくアメリカの政治というのは弁論術の歴史であったのだなと感じる。
 そして、オバマの巧いところは、そうした弁論の歴史を汲み取り、先人のことばを自分の言葉に重ねているところだ。

 彼が話すと、歴代の大統領や黒人指導者の霊が召喚され、彼の声に重なる。それは、彼が歴史的できごとをコンパクトに言い表し、その頂点で「声」を引用するからだ。声は、そこまで並べ立てられた歴史的場所や時間を引き連れて、いまこの場所にやってくる。
 たとえば先の演説で、公民権運動の象徴的場所を次々と挙げてからキング牧師の「We shall overcome」を引用するくだり。
 人々はオバマを通してキング牧師の声を聞く。そして、牧師が語ったことば、黒人の苦難の歴史を乗り越えるのだ shall overcome という未来形のことばが、いままさに現実となり、黒人大統領の誕生となって、「overcome」されたことを知る。
 「We shall overcome」というの声の指し示している場所と時に、自分たちはいま、居合わせている。キング牧師アラバマから発した声の指す場所と時に、彼が予告した未来に、居合わせている。
 声によって、声の発せられた場所と声の届いた場所とを結ぶ回路が開ける。その回路を通じて、モンゴメリーが、バーミングハムが、セルマが、公民権運動が行われてきた場所の記憶が一気に流入してくる。
 演説しているのはオバマだが、声はもはやオバマだけではない。先人の声、先人の記憶が彼の声に重なり、この場を覆っている。
 このような感覚にひたされた聴衆が、熱狂しないはずがない。

 このような声の歴史を、わたしたちは持ち合わせていない。

 現在の日本では、歴代の政治家の声をこのように召喚する風習はない。安倍晋三が総理大臣になったとき、多くの雑誌が「岸信介のDNA」というような言い方をしたが、彼の口から岸信介の名言がことあるごとに飛び出して、先々代の政治性の輝きを憑依させた、というようなことはなかった。「美しい国」「戦後レジーム(からの脱却)」といったことばを聞いても、いったい誰がかつてそのようなことばを声にしたのかを言い当てるのは難しかった。もちろん、かつて誰かが随筆や文書に書いたことばなのだろうが、それらは、血肉を伴った声として繰り返されてはこなかった。
 そもそも、引用されたとたんに万人の誇りが喚起されるような政治的声というものを、日本は持っていない。
 政治の声は読み上げられる。文書に書かれていることを、文書に書かれていますというトーンで読む。そのことによって、自身の声ではなく、文書に責任を預けることができる。読み上げられることばには、文書の論理だけがあって、声の魂は抜かれている。
 日本で「美しい国」とか「この国の誇り」といった表現が空疎になってしまうのは、おそらく、わたしたちが依るべき過去の声を持たないことが原因なのだろう。

 歴史的経緯はある。敗戦を境に、声は屈曲した。かつてこの国を覆った声は、禍々しい戦いの鼓舞であり命令であった。うかつに声を引用すると、声の主である霊のみならず、多くの異なる霊の怨念を背負ってしまいかねない。
 輝かしい声の歴史ではなく、低く頭を垂れて聞く声の歴史。ただ読み上げることが許される声の歴史。

 このあたりに、玉音放送のことを考えるヒントがあるかもしれない。

106才を折り返し、月に触れる

 オバマの勝利演説はすごかった。

 とりわけ後半、106才の婦人の指先が電子投票スクリーンに触れる瞬間を起点に、過去106年と未来106年を折り返すくだりは、壮大なる名調子である。そこで語られている歴史は、多分に紋切り型であり、いかにもアメリカ的まとめ方なのだが、そうしたことも忘れさせるほど、コンパクトで鋭いことばの対比が重ねられている。月面にタッチする足と電子投票スクリーンにタッチする指とを重ね合わせることで、その場にいる人に、月に触れるような衝撃を与えている。

 あちこちのサイトで全文を読めるが、以下のリンクをとりあえず貼っておこう。

http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2008/nov/05/uselections2008-barackobama

 以下、その後半部分。

この選挙では、数々の初めてのできごとが、そして多くのエピソードがありました。それは何世代にもわたって語り継がれるでしょう。でも、今夜わたしの頭に過ぎるのは、アトランタで一票を投じたという一人の女性のことです。彼女もまた、他の何百万人もの人と同じように、行列に並び、この選挙に自らの声を投じました。けれども、ただひとつ違っていたのは、彼女、アン・ニクソン・クーパーは106才だったのです。

彼女は奴隷制がようやく終わりを告げた世代に生まれました。道には車もなく空には飛行機も飛んでいませんでした。彼女のような人は二つの理由で投票できませんでした。ひとつには女性という理由、そしてもうひとつには肌の色という理由で。

今夜、わたしはアメリカで彼女が過ごしてきた20世紀に思いを馳せます。痛みと希望に、苦闘と進歩に、無理だ we can't と言われてきた日々に、それでも突き進んできた人々に、彼らのたずさえていたアメリカの信条に -- Yes we can.

女性の声が封じられ彼女たちの希望が潰えたときにも、彼女は生きていました。そして、女性たちが立ち上がり声を上げ投票権を手にするのを見ました。Yes we can.

黄塵地帯が絶望に覆われ、国中を不況が覆ったときも、国民がその脅威をニューディールによって、新しい雇用によって、新たな公共目的に目覚めることによって乗り越えるのを、彼女は見ていました。Yes we can.

爆撃が湾に落とされ、暴虐が世界を脅かしたときも、彼女はそこにいて、当時の国民が気高く立ち上がり、民主主義が守られるのを、目撃しました。Yes we can.

彼女はそこにいました。*モンゴメリーのバス、バーミングハムの放水、セルマの橋。そしてアトランタからきた一人の牧師。その牧師は人々にこう言いました「We shall overcome. われわれはきっと乗り越える」と。 Yes we can.

一人の男が月の上に降り立ち、一つの壁がベルリンで倒れ、世界はわたしたちの科学力と想像力によって一つにつながりました。そして今年、この選挙で、彼女の指は電子スクリーンの上に降り立ち、彼女の一票を投じました。アメリカで106年の人生を過ごし、最良の時も最悪の時も知っている彼女は、知っていたのです。アメリカがどう変わりうるのかを。Yes we can.

アメリカ、わたしたちは遠くまでやってきました。多くのことを見てきました。しかし、まだまださらに多くのことをやらねばない。だから今夜、わたしたちはわたしたち自身に問おうではありませんか。もしわたしたちの子どもが次の世紀まで生きるとしたら、もしわたしの娘達が幸運にもアン・ニクソン・クーパーのように長生きしたとしたら、彼女たちはどんな変化を見るのか。わたしたちはどう進歩していけるのか?

今こそこの問いに答えるときです。いまこの瞬間こそわたしたちのもの。いまこそわたしたちの時なのです。人々を仕事に就かせ、子ども達に門戸を開く時。繁栄を取り戻し、平和への足がかりを作る時。アメリカン・ドリームを再び宣言する時なのです。もう一度確かめましょう、根本的な真実を、なによりもまず、わたしたちが一つであることを、息をしていること、希望を持っていることを。そして冷笑や疑念に会っても、無理だ we can't と言い張る人に会っても、わたしたちは答えましょう、あの、人民のスピリットを変わらず表し続けてきた信条を唱えて。Yes We Can.

ありがとう、みなさんに神のご加護を。そして神のご加護がthe United States of Americaにあらんことを。

(Barak Obama's victory speech in Chicago, Nov. 5 2008 和訳:細馬)

*「血の日曜日」の歴史とキング牧師の演説を指している。

月光異聞

 夕暮れどき、鍋尻山から上がった月が大きい。
 ふと、山に近づくほどに月が大きくなるような気がする。山のすぐそばに、人の背丈の倍ほどの月があって、そこに行けば、本当の月の大きさが測れるのではないか。
 などと思うのは、先週見た維新派の舞台の記憶が残っているからなのだろう。


 若尾裕さんの「反ヒューマニズム音楽論」がおもしろい。
 わたしたちが音楽を演奏し、聴くときに無意識のうちにとる構えを、ひとつひとつ解きほぐす試みが続けられつつある。

 第二回は、楽曲の受容のされ方が、いかに時代に依存しているかのお話。
 そこで挙がっているのがベートーヴェンの「月光」の受容史である。
 ヨーロッパでの受容の歴史に続けて、若尾さんは日本での「月光」の受容ぶりにも触れている。

戦前の日本には、どういうわけか修身の教科書に、「月光」が作曲されたときのエピソードが載っている。若尾さんの連載から拝借すると、その内容は以下のようなものだ。

 月明かりの街をベートーヴェンが歩いていると、ピアノの音が聞こえてくる。ふと見ると盲目の少女がピアノを弾いていた。ベートーヴェンはそれに心を動かされ、そのピアノで即興演奏を少女に聴かせ、さらに一目散に家に帰って一気呵成に書き上げたのが《ムーンライト・ソナタ》である、というお話である。これについて團伊玖磨氏が指摘していたことだが、月夜の晩にベートーヴェンがどうにかして人の家に入りこみ、月明かりのなかピアノを弾いている少女が盲目であることを瞬時に判断するなど、どうにも状況に不審さがめだつので、これは誰かの作り話だろうということになっている。

 このくだりを読んで、先日、山口で見た中原中也記念館の展示を思いだした(YCAMの大友さんの展示の合間に、ちょっと覗いたのである)。
 そこにはちょうど、盲目の少女のエピソードを載せた修身の教科書が展示されており、中也の「お道化うた」の草稿が出ていた。
 「お道化うた」というのは、こういう詩だ。

月の光のそのことを、
盲目少女《めくらむすめ》に教へたは、
ベートーベンか、シューバート?
俺の記憶の錯覚が、
今夜とちれてゐるけれど、
ベトちやんだとは思ふけど、
シュバちやんではなかつたらうか?

かすむ街の灯とほに見て、
ウヰンの市《まち》の郊外に、
星も降るよなその夜さ一と夜、
蟲《むし》、草叢《くさむら》にすだく頃、
教師の息子の十三番目、
頸の短いあの男、
盲目少女《めくらむすめ》の手をとるやうに、
ピアノの上に勢ひ込んだ、
汗の出さうなその額、
安物くさいその眼鏡、
丸い背中もいぢらしく
吐き出すやうに弾いたのは、
あれは、シュバちやんではなかつたらうか?

シュバちやんかベトちやんか、
そんなこと、いざ知らね、
今宵星降る東京の夜《よる》、
ビールのコップを傾けて、
月の光を見てあれば、
ベトちやんもシュバちやんも、はやとほに死に、
はやとほに死んだことさへ、
誰知らうことわりもない……

中原中也「お道化うた」1934年)

 語り手が思い出そうとしているのは、まさに、当時の修身の教科書に載っていた「月光」の逸話なのだが、その、お堅い逸話の登場人物を、中也は「ちやん」付けで呼び替えて、諧謔を含ませている。
 さらには、偉人然と描かれがちな作曲家に対し、「頸の短いあの男」「汗の出そうなその額」「安物くさいその眼鏡」「丸い背中もいぢらしく」と、その偶像を引きずり下ろすのだから、読み手はますますもって、反修身的な何かが物語られようとしているのを感じざるをえない。

 では、単に修身のお堅さを茶化しているのかといえば、どうもそうではない。茶化すだけなら、ベートーヴェンをベトちゃんと呼べば済むはずなのに、わざわざ、ベトちゃんに対して、オリジナルにはない「シュバちやん」を導入し、少女の相手候補に挙げているのだから、二角を三角にする理由が、語り手にはあるのだろう。
 さらに語りは、シュバちゃんベトちゃんに思いを馳せておきながら「そんなこと、いざ知らね」と続くのだから、語るに落ちるとはこのことだ。語られているのは、はや遠に死んだことさえ誰知らぬ昔の話だが、そんな昔の話にわざわざ拘泥する理由が、この語り手にはどうやらあるらしい。おそらく、この語り手は、少女の相手がどちらの男性だったかということに深いこだわりを持っているに違いないのである。

 ここで、注目すべきなのは、この語り手が「東京の夜/ビールのコップを傾けて」と、自身のいる場所と行為を記述していることだろう。
 この詩には、二種類の時間関係が埋め込まれている。つまり、

東京→ウィーン もしくは
ベトちやんシュバちやん→ベートーベン、シューベルト

というまなざしをなぞるように

語り手→東京の夜

というまなざしが語られつつあるのである。

 おそらく語り手にも、一人の女性と二人の男性をめぐる、抜き差しならぬ物語があって、その自身の物語を、あたかも東京からいにしえのウィーンを眺めるように、誰知ろうことわりもない遠い未来から、死に絶えたこととして眺め直したいのであろう。

 ここで、中原中也の生涯に通じていれば、長谷川泰子小林秀雄との三角関係が思い浮かぶわけだが、その話はおこう。

 さしあたり、若尾さんの話との関係でおもしろいのは、大作曲家がいきなり貧しい家の少女を訪れるという修身の教科書の不可解なエピソードの中に、ただ泣かせるだけではない、性愛の欲望が埋め込まれていることを中也が読み取った点、そして、そうした読み取りによってエピソードと自身との距離を取り、そのことで、自身をまなざす場所を得た点にある。

 月の光はことほどさように、人心を揺らす。月光の曲もまた、そこに純粋な魂が込められているというよりは、月光のごとく人心を揺らす。揺らすがゆえに流布するのだが、その揺れる理由のほうは、人の心のほうにまかされており、しかもそれは心のままに自由なわけではなく、時代や文化の持つ「生政治」に依存している。月によせる中也の感傷が、いささか時代がかって(それゆえにノスタルジックに)見えるのは、彼の感傷もまた、彼の時代の生政治に依存しているからだろう。

 わたしたち自身もまた、この時代のもつ生政治から逃れられているわけではない。若尾さんも書かれているように「ベートーヴェン以後、クラシック音楽は正しい生き方とつねに重なるものとなっていき、教育や音楽療法のバックボーンとして位置づけられるようになる。」
 だから当面、わたしたちに出来ることは、そのように「逃れがたい」生政治があることに、気づくことだろう。
 もちろん、気づいたとしても、わたしたちは、すべての生政治から離れた高みに立てるわけではない。自身のいる東京を語ろうとする詩人のように、ある種の生政治とわたしたちが取る距離自体が、語り手の持っている生政治を表すことになる。あるいは、そのように自身の生政治を顕わにすることばを紡げる者が詩人になる、というべきだろうか。

 それでも月は見なくちゃね。

ボヴェ太郎『Texture Regained -記憶の肌理-』@伊丹アイホール

 10/11
 伊丹へ。乗り換えがうまく行けば、彦根から伊丹は1時間40分ほど。
 公演前、ボヴェさん、企画の小倉さんと少しお話してから本番。


文字を読む 踊りに読む

 何もないリノリウムの平台を見下ろすように、数十脚の客席が設えられている。客入れの音楽さえない。客電が落ちると、薄暗がりの中に語り手が現れ、踊り手が現れる。
 黒の衣装をまとったボヴェさんの顔と手の先だけがほのかに白く浮かび上がり、そこで月の光の一節が語られる。月光を乱すまいと物皆静謐を保つ。静かな始まり。

 朗読者がひたすら本を読み上げ、それに合わせてボヴェさんが踊る、という図を想像していたのだが、これがかなり違っていた。
 朗読の渋谷はるかさんは、ただ同じ位置でテキストを読み上げるだけでなく、時には立ち上がり、自ら椅子を持って舞台中央に移動することもある。本から目線をはずして前を見ながら、ときにはテキストを持たずに手ぶらで、ボヴェさんを見ながら語る。派手な演出ではないが、これだけでもずいぶんドラマティックな効果がある。

 そういえば、本を読むとき、わたしは何を見ているのかといえば、文字を見てるのだ。そういう当たり前のことを考えた。いつも本を読むとき、目は忙しく文字をおいかけている。たまにふと目をあげるときはもう、ことばから目は離れて、頭の中でことばの名残りが繰り返されながら、視覚未満のイメージが頭の中で変転している。それはもっぱら、手前勝手な時間の中で起こることだ。

 ところが、この舞台では、読み手はまっすぐに踊り手を見つめながら語ることがある。ことばは明確に声にされながら、目の前には、自分の想念ではコントロールできない、もう一人の踊り手が、その声を聞きながら舞っており、語り手の声はその舞に揺らされている。
 踊り手はごくゆっくりと、足から入った時間を手へと伝わらせていき、踏み出すたびにしなやかな木を生やしていくように、ひとあしひとあし進んでいく。井上究一郎訳のプルーストの、文章の息の長さに沿うように、ゆるやかな緊張がそのひとあしごとに張り詰められていて、じつを言えば見つめるうちに何度か半覚醒に入ってしまい、はっと意識を取り戻したりした。

 ときおり、イメージの強いことばが語られる。
 たとえば、ヤグルマソウ
 そのひととき、踊り手の身体はあたかもヤグルマソウや横たわる女そのものを表しているようにも見えるのだが、ことばと身体との記号的な結びつきは、彼の柔らかい動きによってするりと解かれ、文の抑揚へと委ねられてゆく。
 踊り手は、語り手のうしろにゆっくりと移動していき、デーモンのように両腕を広げる。声の抑揚によってあやつられた踊りが、ことばの意味から離れて、語り手のうしろで禍々しい形をとりつつあるように見える。そして語り手が、「星雲」というとき、踊り手の両腕は、語り手の後ろでまだ広がっており、その腕はあたかも、声によって「星雲」と名指されたことで何かを思い出したように、ゆっくりと、星の集まりのように、胸の前へと閉じられていく。このシークエンスはひときわ美しかった。

 途中、一本の日傘が用いられる。きゃしゃな女性が一人、弱い陽射しからかろうじて身を守ることができそうなその傘には、薄い白布が張られて、ほの暗い照明の中で見ると、これはまるで皮と骨だ。その傘を開いたり閉じたりするときに留め金がかかる音さえ、この静かな舞台では確かに響く。
 その、からからの骸のような日傘を引きずって、踊り手は舞台の上をゆっくりと円を描く。柔らかく動く踊り手の身体には湿度があり、日傘は乾いている。語り手は、植物のように横たわる女のことを語っている。植物のイメージは、声によって湿度を与えられて、それが踊り手の身体に潤いを与え、その潤いがまた、声に湿度を与える。

 約一時間、普段はけして浮かばない連想が起こった。不思議な舞台だった。

足から入る空間、文中の投射

 そのあと、トークショーでボヴェさんと話す。
 彼が「足から入る」「頭と手から抜ける」という言い方をしているのがおもしろい。そこには、足を入れるべき気配が感じられており、その気配に入ったあとに感じられる気配と身体との摩擦や粘性、抵抗があり、そこを手と頭から抜けていくのかな、などと考える。それで、彼の踊りの持つゆっくりとした緊張のことが、少しわかった気がした。
 記憶と傘、というわけで、傘を忘れる話を持ち出したり、こちらの勝手なイメージをぶつけたりしたが、ボヴェさんは、プルーストから得たできごとの事後性の感覚や、彼の文章が持つ時間のことを明快に答えてくれた。聡明な人だ。気が付いたら予定の倍近い時間に。

 あとで、ボヴェさん、渋谷さん、小倉さんと居酒屋で軽く飲み食いする。アスパラガスを注文したら「失われた時を求めて」のアスパラガスの絵の話になり、すると、ボヴェさんが「ブロースフェルトのアスバラガスの写真がいいんですよね」と言う。ベンヤミンの本を読まれたのだろうか。「失われた時を求めて」も全巻読破されたそうで、それが伊達ではないことは、トークのお相手をしていてよくわかった。若いのにたくさん本を読んでおられる。

 プルーストの訳文を読むのに渋谷さんはあれこれ試行錯誤されたそうで、たとえば月光を乱さぬように、と読むとき、その次に、ものみな静謐を守っている感じを出すのに苦労されたという。

 それで、文章の持つ投射性について考える。たぶん、文章の抑揚の中には、あることばの次に、どれだけ息の長い文章が続くかが、ある程度織り込まれており、人は、単語や文節を聞きながら、その先で語られようとすることばの長さを予感し、いま語られたことばのイメージをどこまで先へとのばしていくべきかを推し量っているのではないか。
 おそらく、同じことは踊りにもあって、いま踏み出した足がどれだけの動きを含み、それはどれだけの時間を越えて展げられていこうとしているのかは、その足の踏み出し方に、もう、込められているのでないか。
 もちろんこれらはあくまで投射であって、そこに突然、予期せぬできごとが闖入して、イメージをぐいとたわめてしまうこともあるだろう。しかしその場合には、そのたわみが、抑揚や動きに刻印される。
 声を出し、足を踏み出すことは、そのような、予期とたわみを用意する。

 ボヴェさんと渋谷さんは高校の同級生なんだそうだ。お二人ともまだ二十代後半。これから先、どんな声を投げ、どんな足どりを踏まれるのか、楽しみだ。

呼吸機械、群読、小さい人間

 6:30に会場に着くと、もうあたりは暗がりで、舞台に入ると、水平線の向こうにわずかに船の灯りが見えるのだが、客席が明るく照らされているので、向こうに広がっているのが湖なのか、それとも舞台が果てしなく広がっているのかがわからない。
 その、水面とも舞台ともつかぬ光景が広がっているのを見て、もうこの場所に来たかいはあったという気がした。

 始まった物語の筋立ては、必ずしもわかりやすいものではない。
 そこは戦前の東欧のある場所らしい。
 子どもの中の二人は、カインとアベルと呼び合っている。ということは、これはカインとアベルの兄弟殺しの物語なのだろう。
 ポーランドの戦前戦後のイメージを表すべく、見たことのあるポーランド映画の場面が舞台の上に再現される。ナチ侵攻後のワルシャワの廃墟は『戦場のピアニスト』かもしれないし、目撃者のように唐突に現れる巨大な男は、キシェロフスキのデカローグに毎回登場する男を思い出させる。一人の犯人を集団の輪が追い詰めて、そして輪が解かれると犯人が死んでいるのは、『夜行列車』かもしれない。終盤近く、暗殺者が相手を抱きかかえるとともに花火があがるのは、明らかに『灰とダイヤモンド』だろう(あの映画のシーンが、舞台のスケールになると、こんな風に見えるのかと、ここはおおいに感じ入った)。

 これらのイメージに加え、ハーケンクロイツ入りの汽車が闖入し、アウシュヴィッツを思わせる釜を前に、晩餐のカーニバルが執り行われるのだから、これはもう、ポーランドユダヤ人の話なのだが、なにしろ台詞らしい台詞はなく、登場人物は子どもとして現れたり大人として現れたりして、名前を呼び合うときにようやく、ああ、この人物がカインなのかと分かるので、はっきり筋の通った物語を見ている感じはせず、むしろ、時代を前後する貼り混ぜ屏風を見るようだった。


カタカナを読む

 わたしは、日本維新派維新派となって以降、長らくその劇を見ていなかったが、その原因の一つに、ラップ調のことばがある。『echo』あたりから使われ始めた「ガリガリ」「ズンズン」といった、かたくなな擬音や擬態語を律儀に発声するコーラスが、以前はなんとも気恥ずかしく、いたたまれない感じで、それからしばらく足が遠のいた。内橋さんの作る曲や演奏は聴きどころがたくさんあって、こう来たかと思うところも多々あるのだが、あのラップが乗ると、どうも受け付けなかった。
 『ノスタルジア』や中上健次を題材にした『南風』を見に行き、そのときは生バンドで作っていく音楽のグルーブにぐいぐいと惹きつけられ、違和感は和らいだ気がしたものの、あいかわらず、全員が声を揃えて何かを言い出すのを聞きつづけるのは苦手だった。

 今回の場合も、全員が唱和する場面に対する違和感は相変わらずだった。
 しかし、寄る年波を経て、自分の好みを横に置くことができるようになったせいだろうか、これはこれで、いろいろと考えさせられた。

 丸窓、アーチ、アーケード。クランク、アーム、のばして。カタカナのことばが和語とともに並べられ、大阪弁のイントネーションをまとって、あくまでも日本語の鈍重な音として発声される。それを聞きながら、ああ、新しい街、新しい機械を得るときに、確かにこんな風にことばを唱えながら、その街や機械の持っている体系に自分は接してきたな、と思う。カタカナは、咀嚼できない概念を、発声することで無理からに呑み込むための音であり、その、喉にひっかかる音こそが、目の前の街や機械の新しさを示しており、だから、そのひっかかりを、まるで炭酸が口内を刺激することを選ぶように、好んで摂取するようになった。もしかすると、維新派のラップに対する違和感は、自分が行ってきたそうした無自覚の摂取に対する違和感なのではないか。

 この劇では、東欧の地名が次々と連呼される場面がある。グダニスククラクフブダペストプラハワルシャワワルシャワ! 日本語のモーラにのせた、鈍重なラップで、異国の地名がお経のように唱えられる。東欧の土地の名を呼ぶたびに呼び覚まされる異郷へのあこがれは、グダニスクのグダ、クラクフのクフ、ブダペストのブダ、プラハのラハから来る。そこには、現地の発音が日本語に変換されたときに起こる、人のことばにはない不自然なひっかかりが含まれており、そのひっかかりの集積が、まだ見ぬ「東欧」のイメージを膨らませる。じつは、わたしたちのイメージする「東欧」はこうした土地の名前から来るのではないか、とさえ思わせる。

 ラップ、と便宜上呼んでいるが、維新派のこのコーラスは、ラップというよりも、群読に近いなと思う。群読というのは、小学校で「卒業!卒業!」とやる、あの呼びかけの形式のことである。
 維新派の劇で唱えられている土地の名前は、現地の人から、生の発音を聞いて捉えられた音ではない。一度カタカナとしてテキスト化された音が、読み上げられた音なのだ。もちろん役者は、それを、テキストを見ながらではなく、暗唱しているのだが、それはあくまで暗唱であって、台詞ではない。
 ラップが、歌から発話へのシフトであるとすれば、維新派の発声は、発話から読むことへのシフトである、と言えるのではないだろうか。

 わたしたちは、テキストを読み、テキストを介して、新しさに触れてきた。
 アナウンサーが、IMFを「アイエムエフ」と読み、さらに「国際通貨基金」と言い直す。異国のことばは、読み上げられることで、カタカナとなり、その意味を与えられる。
 しかし、名前が唱えられるとき、それを言い直すことはできない。グダニスクグダニスクと呼ぶしかなく、そこに付け加えられる意味はない。聞く者はグダでニスクな音のひっかかりを、そのまま受け入れるしかない。人の名前、土地の名前は、呑み込むしかない。
 いや、じつを言えば、事物の名前すら、はっきりと意味が与えられているわけではない。機械のアームはアームであり、腕とは違う。デスクトップはデスクトップであり、机上と言ったのでは通らない。むしろ、日本語の意味から遠ざかり、カタカナで呼び習わすことで、わたしたちは街や機械を受け入れてきた。ものの名前がカタカナ化されたときのひっかかりを、白米よりも玄米を好むように日本人は咀嚼し、そこに新たな文化を感じ、そのような音の横溢する場所に住み慣れてきた。

 異国のものの名前が持つひっかかりは、ズンズン、カチカチといった、重たさ、硬さのもたらすひっかかりや違和感と重なり、まるで擬音や擬態語のように、摂取されてきた。維新派の舞台の上で、少年少女たちは、まるで新しいオモチャを見つけたかのようにカタカナに飛びつき、カタカナを読み上げ、機械のように痙攣し、ますますその読み上げは調子づく。

 その光景に、わたしが微かな嫌悪を覚えるのは、おそらく、それが自分の取り巻いているカタカナ、そしてカタカナによってもたらされている生活を、鏡に映したものだからなのだろう。


人間の小ささ

 それにしても、何より、心動かされたのは、舞台の大きさ、そして舞台の大きさの使い方だ。

 終盤、暗殺の悲劇の直後、舞台にじわじわと水が染みだしてきて、やがて水浸しになった舞台と湖がつながってしまう。水没する街。それを見て、なぜか「崖の上のポニョ」を思い出し、不思議な符丁を感じた。

 おそらくこの舞台の準備が始まったのはポニョの公開前のはずで、ポニョが参照されているはずもない。が、少年少女たちが水浸しの舞台の上にあおむけになり、足をばたつかせて水を蹴立てるその光景は、まさしく波のイキモノ化であり、それは、ポニョが波に乗ってやってくるときの、あのイキモノ化した波を思い起こさせる。その波と化した役者たちの沖へと、登場人物が進んでいくと、遠ざかっていく人物の遠近は、そのまま、イキモノ化した波の遠近に重なり、寝そべりながら膝をがくがくとばたつかせる役者たちの、波のひとつひとつの生成が動作の生成に重なり、ここで生きているのは誰なのかと、めまいがしそうだった。

 数十人の役者を遠近に配置することで、数十メートルはあるかと思われる舞台の奥行きがいっぱいに使われる。手前に目撃者がいて、遠く、浜辺で惨劇が起こり、遁走劇が起こる。人の小ささ、激しい水しぶきが上がる音の遠さが際立ち、ああ、人はこんなに小さいのだと思わせる。近くで踊っているときは、激しい呼吸で上がり下がりする肩まで判るのに、濡れ鼠になって踊る役者の体の寒さが伝わってくるほどなのに、浜に出てしまうと、人は、もうどうしようもなく遠い。水際から水に踏み出してしまった人は、もうこの世の人ではない。そういう、人間の小ささが、見る者に迫ってくる。

 その小ささは、トランクを下げた巨大な男の登場によって、いっそう際立つ(人の三倍はありそうなその大男は、軽々と走って見る者を驚かせる)。もしかすると、この大男の大きさこそ、世界の大きさなのではないか。人間は、自分の生活を尊大に誤解しているだけで、本当はとてつもなく小さいのではないか。

  浜辺に巨大な月が落ちる。汽車が割り込む。窓越しに見る。船が過ぎる。舞台から浜辺へと続く水の中で、人の小ささが測られてゆく。
 自分の大きさを把握するための、新しいスケールが、ここにはある。じつは見ながらいちばん感じ入ったのは、そのことだった。

ラジオ 沼:384 より/接触と帯気 ポニョの歌のこと

 まだ、ポニョ祭りなんですけどね。

 ポニョといえば、あの、頭にこびりつくような歌なんですけれども、ぼくはあれを街のあちこちで聴きながら、途中で歌われている擬音語がどうも聞き取れないんです。

 わくわくちゅゆ、って言ってるのかな。こころも踊るよって言ってるからね。他にも、ぺたぺたなんとか、とか、にーきにきぷんぷん、とか。
 とにかく、口の中がもちゃもちゃにちゃにちゃしてる音なんだけど、あれはなんといってるのか*1。

 舌っ足らずの子の発音って、適切に舌がとがってないから(これ褒め言葉なんですが)、そして唇と舌とのタイミングがかっちりコントロールされてないから、たとえばPという発音をするときに、一発でとーんと行かないように聞こえるんですね。

 ちなみに、日本人のぱぴぷぺぽと英語のPは違っていて、それは空気のためなんですね。日本語のPは唇を破裂させるときに、あまり空気を外に出さない。むしろ唇を離すような感じになってる。ところが、英語のPは空気をまずぱっと外に破裂させるように出して、その後に声帯の震えがくる。だから、英語のPの波形を見ると、空気がまず勢いよくphと出て、その後に声帯の振動を示す振幅の大きな部分が来ます。いっぽう、日本語のPの波形を見ると、Pの始まりとともに声帯が震えているので、頭からばーっと振幅が大きくなっている。唇が離れたらもう母音が鳴っている。
 英語のPに比べると、そもそも日本語のPはぺたぺたにちゃにちゃしてるんです。

 それがもっとはなはだしいのが、ちっちゃい子のぱぴぷぺぽです。
 まだ空気玉がぽーんぽーんと前に出て行かない。ぺたぺた、と発音しても、空気がひとつひとつ適確に空間を保ったままそこから空気を一気に押し出すというようなメリハリに欠けている。
 ちょうど、土踏まずがまだはっきりしなくて、にちゃっと床に貼りついてしまう子どもの足のような、ぺたぺた。体重も軽く、空気をしっかり押し出すことのできない子ども足が、床に接着して離れるときの「ぺ」。

 そういう「ぺ」を考えるときに、ポニョの歌には独特の感じがあると思うんです。

 あの歌って、徹頭徹尾、接触の歌なんですよね。
 まず、歌詞に歌われる行為じたいが接触的である。おててを「つないじゃお」。あしで「かけちゃお」。わあ、手が生えた!足が生えた!っていう、初期衝動に貫かれた歌である。

 考えてみると、サカナっていつも水に触れているから、逆にいうと人間にとっての空気みたいなもので、特別、どこかに触れて生きているという感じを与えるものではない(いや、もしかしたら、サカナは側線から水との接触感を強烈に感じているのかもしれないけどそれは置こう)。
 それに比べると、人間というのは、手とか足とか、やたら突き出た身体部位を持っていて、接触することと離れることの繰り返しを、ずーっとやってる。足がそうです。足は地面に接触して、離れる。「足でかけちゃお」という行為の何がどうかしてるって、せっかく接触した地面から離れちゃうんですよね。接触して離れる。かならずどこかに接しないといけない。かならず接したその場所から離れなければいけない。この酷薄な出会いと別れを繰り返さないと、歩いていくことはできない。
 手もそうです。握ったものをずっと離さないということはありえない。誰かの手を握っても、それはいつか離さないといけない。握った食べ物もいつか離さないといけない。でないと、誰かにあげることができない。チンパンジーは握ったものをなかなか離しませんが、人間は握ったものを他の個体にあげることができちゃう。

 この、接することと離れること、出会うことと別れること、というのが、ポニョの隠れたテーマであって、それが、やたら接触音を盛り込んだあのポニョの歌に現れているということではないかと思います。


1 実際に「崖の上のポニョ」の歌に出てくる擬音は以下の通り。

  • ペータペタ ピョーン ピョン
  • ニーギ ニーギ ブーンブン
  • パークパク チュッギュッ

ラジオ 沼
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