ウィリアム・キャッスルとヴィンセント・プライス特集

 ハリウッドのお膝元、エジプシャンにてウィリアム・キャッスル特集。「ティングラー」「地獄へと続く部屋」の二本立て。90年初頭、倉谷さんがアメリカに居た頃、TNTで放映していたビデオをあれこれ送ってくれて、その中でも彼のいちばんのおすすめがウィリアム・キャッスルだった。それでぼくもこの二本をはじめ、「13 Ghosts」や「Macabre」を見てそのばかばかしさを楽しんでいたのだった。

 しかし、それから十数年、こちらの見方もずいぶん変わった。今回、改めて映画館のどでかいスクリーンで(エジプシャンは内装も気持ちがいい)、ウィリアム・キャッスル本人の口上を見ながら、単にばかばかしいと思うよりも、何か見世物の前の口上に通じる、真贋入り交じるあやしげなその論理に、次第に巻き込まれていくのを感じてしまうのである。覗きからくりの調査にでかけたり、田楽踊りの調査をしたりするうちに、物語ることのあやかしが多少は体に染みてきたのかもしれない。

 お話自体は荒唐無稽このうえなく、ヴィンセント・プライス演じる開業医の、ほとんど妄言に近い話が次々と現実になっていく。人が恐怖を感じるときには背骨に沿って体の内側に「ティングラー」なる生き物が成長し、恐怖が増すほどにそやつは背骨をぎりぎりと締め付けてついには人を取り殺してしまう。そして唯一そのティングラーから解放される方法は「叫ぶ」ことである。叫ぶことでティングラーは萎縮し、人は恐怖の責め苦から抜け出ることができる。ということは、叫ぶ手前ぎりぎりのところでレントゲンをとれば、背骨にとりついているティングラーをはっきりと写し出すことができるのではないか。

 主人公は、娘をわけもなく暗闇で怖がらせたり、妻の浮気を追求しようとピストルをつきつけたり、あげくの果てにはLSDで自らに処方して我が身を恐怖に追い込んだり、といった、さまざまな挑戦的実験(?)を続け、しかもその実験のたびごとに論理が飛躍する。そんなアホな、と言いたいところだが、しかし、主人公が独白に独白を重ねながら、飛躍を続けるうちに、その飛躍の非科学ぶりよりも、そのようなむちゃくちゃな飛躍に説得性を帯びさせていくその語りのすごさのほうが際だってくる。そして、その論理のとんでもない飛躍ぶりこそが、心地よくなってしまう。いや、じっさいのところ、これくらいの飛躍がなければ、科学など成り立たないのではないか。

 そして、サイレント映画館でのシーン(どういうシーンだかは秘す)、エジプシャン館内には、観客の叫び声がこだました。ぼくも思い切り叫んだ。背中がこそばゆかったからだ。

 「地獄に続く道」も、さほど凝った話でもないのだが、やはり圧巻は○○をあやつりながら登場するヴィンセント・プライスの姿だろう。
 見世物マスターの入場ともいうべき堂々たる登場。畏敬の念すら起こってきた。すごいな、ウィリアム・キャッスル