Dracura: Pages from a Virgin's diar

 さてまず一本目は Dracura: Pages from a Virgin's diary。ロイヤル・ウィニペグ・バレエ団演じるストーカーの「ドラキュラ」をガイ・マディンが撮ったものなのだが、これがもう、バレエ団の振り付けを越えてもの凄い強迫感で撮影されている。最初の「海からやってくる!」という字幕、地図、短いポートレートの連続でもう完全にガイ・マディン世界。そして、Tara Birtwhistle演じるルーシーが、背後に迫るドラキュラに自ら身をまかせるように噛みつかれるシーンのテンション。ぼくはどちらかといえばマーラーは苦手なのだが、この映画で使われるマーラー、そしてその音楽の流れに感情を乗せていく編集の手つきにはもう眩暈がしそうだった。そう、ガイ・マディンはとてもしっかりした感情の流れを持っている。各場面が感情の流れによってしっかり束ねられ、大芝居になりかねない振り付けには緊張が生まれ、荒唐無稽に近い物語に異様な強迫感が生まれる。ベッドに横たわるルーシーの回りで小間使いたちがにんにくを掲げて踊る「にんにく踊り」や、ルーシーの友人ニーナと日記本を受け渡ししながらその体をなでまわすドラキュラの踊りなど、ほとんど滑稽に近いほど形式化されていて、しかも手に汗握る。

 映画のあとのトークショーで、「場面によって色を変えているのはどういう意図なのか」と観客から質問があったのだが、ガイ・マディンの答えは「いや、本読むときにページ開いて新しい章がくるとなんかうれしいでしょ、あの感じを出したかったんだよね」。それって、「The joy, joy, joy, joy of meeting someone new!(臆病者はひざまずく)」感覚そのものじゃないか!形式の発見に感情の変化をのせていく手管。