太鼓「道場」

 午後、青木さんのやっている太鼓道場の見学。予想外に、といっては失礼なのだが、とてもおもしろくて、ほんの一時間ほどいるつもりが、延々四時間も見学させていただいた。
 「道場」というだけあって、黙想で始まり黙想で終わる。生徒は下は6歳から上は十代まで。太鼓の先生である吉橋さんはまだ25歳だというのだが、その教え方はじつに音楽的で見ていて惚れ惚れする。手本を示して一緒にビートを叩かせる。ビートが緩んでくるとバチどうしを叩いて締め上げ、ビートが確かになってくるとリムショットで下がり、ときには叩くのを辞めて様子を見る。ときにはまったく違うリズムを重ねたり、わざと少し難しめのリズムを叩くことで、別のリズムが重なるときの感覚、よりステップアップしたときの感覚を呼び覚ます。そして、そのタイミングがなんともあざやかなのだ。
 クラスがうまく行っているかどうかは、先生が目を離しているときの活動でわかる。よいクラスでは、自分で考えて事を進めるための基盤と材料を生徒がしっかり与えられており、先生がいないときも、生徒はその基盤と材料を使ってどんどん自分で事をこなしていく。このクラスはまさにそれが機能している。
 段取りを説明し、手本を見せ、生徒にやらせてみる。それはどんな種類のクラスでも行なわれていることだが、この太鼓教室のばあい、すべての流れが音楽的なのだ。たとえ太鼓を叩いていないときでも、説明と手本との往復の間合いに大きなグルーヴがあり、そのおかげで、説明がただの説明に終わらず、音楽を感じさせる。
 別の部屋では青木さんが三味線の稽古をつけていて、これも拝見したのだが、やはりとても音楽的。この、一瞬一瞬が音楽で満たされてる光景を見ていると、自分の講義の仕方を根本的に改めたい気分になってくる。
 その模様は、ラジオ 沼にて近日中に公開予定。