8/16の記

 夕方、渋谷のO-Crestへ。ワッツタワーズ。京都で見たときと同じネタなのかと思っていたのだが、アドリブのほとんどはまったく違う内容だった。テーマはずばり玉音、というべきか。

 岸野さんのアドリブのスリリングなところは、途中でとつぜん論理をすっとばすフレーズを口にするところだ。今夜でいうと、「時代はいま、終電車なのか?」「この10円でレコードの傷を癒してあげよう」というあたりがそうなのだが、これらのフレーズはいずれも、口触りのよさとか紋切り型が突然論理に混入した事故のようなもので、通常は、より安易な結論に流れ込むための一手である。
 しかし、物語を論理によって押し進めている岸野ワールドでは、このようなフレーズは、一度口にしたとたんにそこまで組み立ててきた論理を一度切り崩すハメに陥ってしまうという、とてもリスキーな存在である。きれいにアドリブをまとめようとするなら、ふつうこういうフレーズは踏まないところだ。
 ところが岸野さんはそれをあえて踏む。踏んでおいて、おそらくはその立て直し(あるいは言いっぱなし)の過程で、いままで口にしたことのないことばをさぐっているのだ。もちろん、こうした過程はすべて、「歌」によって行われる。前にも書いたことだが、あらためて恐るべき言語活動である。

 今日は、左に宮崎さん、右にミントリさんがフロントに座っており、「ジョンを呼ぶ歌」で、岸野さんの歌に答えるように左の宮崎さんから「ばぶーてぃー」、右のミントリさんから「ばぶーてぃー」と呼ぶところは絵にも書けない美しさ、頭の中で落涙する(男女の涙はワザモンなので、この際、ほんとに涙を流すかどうかは問題ではない)。この日は他の曲でも、この二人のコーラスがいい感じだった。あとでミントリさんに聞いたら、「ばぶーてぃー」の掛け合いはアドリブとのこと。