実家に帰るたびに聞かされる母親の昔の話の多くは、子供の頃から聞かされてきたことの繰り返しではあるのだが、それでも年々に、少しずつ語り方も変わるし、こちらのたずね方も変わってくる。同じ話だと思って聞いているうちに、知らなかった話が思いがけず飛び出すこともある。

 今日、ふと、「花の街」という歌の出だし「七色の谷を越えて」を思い出した拍子に、母が昔よく歌っていた別の歌を思いだした。
 「七つの川」というのがその曲で、作詞したのは母である。広島女子短期大学の学生歌募集に応募して、みごと当選したことがある、というのが、母のよくする自慢話で、その話のあとに歌われるのが、学生歌「七つの川」だった。「みどりなーすー、なーなーつのかわーに」というその節回しは、ことばにあわせるかのような独特の拍子の割り方で、伴奏もなにもなしに母の口ずさみで聞いているせいもあるのだろうが、いわゆる唱歌風の校歌とは違った、不思議な雰囲気の曲だった。
 「花の街」は昭和22年に作られた歌で、確か母の作った歌も戦後のものだ。二つの歌に共通する「七」という数字がなんだか符丁のようで気になり、実家に電話をしてみた。

 昭和20年代の広島の話がしばらく続いた後、あの、母がよく歌っていた歌の作曲者が誰だったか(などということは、子供のときには別段知ろうとも思わなかった)という話になったのだが、「マキノさんだったかマキタさんだったか・・・いまは東京に出て偉い人になっとるいうてきいたけどね」と心許ない。心許ないわりには、「いまどうしちゃってかねえ。いっぺん会いたいもんじゃけど」などという。探偵ナイトスクープにでも出てきそうな、雲をつかむような話なので、またわかったら教えて、と答えてそのときは切った。
 しばらくして、思い出したわ、と電話があった。歌詞を書き付けた紙が出てきたらしい。「マイタさん、いうて、いまはフユキトオルいうのよ。あんた知っとる?」
 ・・・フユキトオル
 知ってるも何も!
 「わんだば」ではないか!
 みらーーーまーーーーん、ではないか!
 わたしが小さい頃さんざ歌っていたあの主題歌を作った、冬木透氏ではないか!  

 多少なりとも劇伴に興味がある人間にとって、冬木氏は神様のような存在である。ウルトラマンからウルトラセブンへと移行したとき、その音楽にはっきりと現れたアダルト志向を、子供のわたしは真正面から浴びた。科学特捜隊の律儀なマーチとはうってかわった雰囲気の音楽、ウルトラ警備隊の発進をカウントダウンするクールな男声コーラスを聞いたとき、はっきりとオトナ帝国の存在をかぎ取ったのだった。そして、ミラーマンの、あの光学的音楽・・・。子供のころ、毎日のように頭の中で鳴っていたそれらの主題歌と、母の口ずさんでいた歌とが、同じ作曲者だったなんて。もしかしてこれは、自分の頭の中の記憶どうしが勝手に反応して作り上げた想像上の奇縁ではないのか。

 しかし、実家からその歌詞カードを送ってもらうと、確かに「蒔田尚昊作曲」とある。
 学生歌「七つの川」が作られたのは1953年(昭和28年)。蒔田尚昊氏(冬木透氏)は1935年生だから、ちょうどエリザベート音楽短期大学に進学して間もない頃の作品ということになる。蒔田氏の作られた歌曲の中でもごく初期のものに属するのではないだろうか。

 広島市太田川水系の七つの川のなすデルタ地帯に発展した都市だ。そのほぼ中心部に、昭和20年、原爆が投下された。その前後の話はこれまた母から繰り返し聞かされてきた。

 みどりなす 七つの川に/鐘の音 静かに曙けて/かそかなる 希望の光/仰ぎ見て 聞け天の聲  (「七つの川」より)

 戦後8年の時を経て、当時22才の母は、広島の学生歌を「緑」で始めた。そのことに、あらためて気づく。
 鐘の音が鳴りながら「静かに」曙ける。「かそかなる」希望の光が射している。歌詞も旋律も、声高な調子ではなく、情景を描写して慎み深い。それはその時代の広島にあって、生活の感触に裏打ちされた、ごく自然な感覚や態度だったのかもしれない。そうしたことも、子供のときには考えたこともなかった。

ラジオ 沼
第277回 花の街、夕暮れの街 24 Aug.