内藤礼展 於大山崎山荘美術館

 大山崎山荘美術館へ。内藤礼の「返礼」を見る。
 地下美術館の中央に白い部屋が据えられている。中には細い糸が二本、下がっている。垂直ではなく、角度のついたその線は、ただ垂れ下がっているのではなく、何かにつながれているのだろう。あるいは二本が下で一本になるのかもしれない。しかし、何度たどろうとしても、その線は中途で見えなくなる。中空で糸は消える。
 片方の窓のそばに、その糸をさらに間近にしたかのような、小さなフロスが下がっている。息をふきかけると、かすかにゆれて、ねじれたフロスのあちこちが見えなくなる。しばらくそのひらめきを見つめていると、部屋がさっと、日食を抜けたように明るくなる。雲間から太陽があらわれたのだろう。
 あとで作品のそばに置かれた小さなメモ(このメモは「舟送り」と呼ばれている)を見て、壁にあったはずの小さな鏡の存在にまったく気づかなかったことを知った。自分の観察眼はうかつだ。

 二階にあがってテラスに出る。眼下に蓮池がある。池はいくつかの部分に区切られており、それぞれが異なる水位に調節されている。月夜ならば、田毎の月よろしく池ごとの月が見られるだろう。
 また、さっと太陽が現れて、中秋にしてはやけにその陽射しは強く、手に持っていたパンフレットを頭にかざした。すると、目の上にあるパンフレットの端から糸が下がっている。風に揺らされる糸は陽に透けて、中途で見えなくなる。

 こんな偶然がありえるだろうか。

 もちろん、ありえる。なんのことはない、それは細い蜘蛛の糸で、たぶんこのテラスに出たときにひっかけたかどうかしたに違いない。
 けれど、そのときは、自分がさきほどの作品をずっと手にしており、しかもそれにいままで気づいてなかったのだと思った。またしても自分はうかつだったのだが、そんなうかつな者にも、世界は秘密をもらすのだ。