本は読むたびに造り直される 松田哲夫「本に恋して」(新潮社)

「本」に恋して 装丁家、造本家の話かと思って読み始めたのだが、そうではない。この本で扱われている範囲はいわゆる「造本家」の扱う範囲を越えて、紙抄(すき)や、束見本づくり、函作り、インキ作りと、本というモノを扱う職人さんの話だ。
 そして、その職人さんの世界の、どこがスゴイかが、内澤さんの見事なイラストレーションとともに浮き上がってくる。その複雑な工程をたどるうちに、目の前の一冊の本が、ほとんど奇跡の産物に見えてくる。

 だって、本って四角くないんですよ、センセイ!
 背中は丸いし、「耳」があるし(ところで、p45の「耳」をぐりぐりやるイラストを見ていると、読む側の耳がこそばゆくなるから不思議だ)、ページの縁だって微妙にRがきいている。表紙の大きさは本文ページの大きさと微妙に違う。カバーや帯をつければ微妙に厚さが変わる。
 この複雑怪奇な、真四角からはほど遠い本という物体が、四角四面の函にみごとに収まる。それも、ぴったりではかえって困る。1ミリもしくは2,3ミリという微妙な「あそび」を残して空気の入るスキマをあけてやらなければ、本は、すぽっ、とは抜けない。そこまで想定した上で、函は絶妙なスキマをとって造られるらしい。
 そんな話を読んでから、書棚の函入り本を見ると、なるほど、上部にミリ単位の暗いスキマが空いている。こんなにしげしげと函のスキマを見たのは初めてだ。あたかも造本のカミサマが籠もっているようではないか。

 「本に恋して」を読んでいると、本作りに重要なのは空気である、という単純なことに驚かされる。
 紙という平面を操作するには紙が空気をはらむことが必要だ。しかし、紙という平面を収納するには空気はじゃまである。そこで、紙は操作にあたっては「さばかれ」て空気をはらみ、造本にあたっては押されて空気を抜かれる。
 目に見えないほどのミクロなレベルでも、紙と空気には微細な関係がある。印刷ずみの紙と紙とが圧着すると「ブロッキング」がおこってくっついてしまう。だから紙と紙の間に微かなスキマを入れてやる必要がある。そこで、「パウダー」なるものが紙にはふりかけられることがあるらしい。そんな、まるでギョウザの皮に小麦粉をふるような技が本にもあるとは知らなかった。

 紙と空気とを巡る技術の数々を読んでいると、ページをばさばさとめくっている読者の手もまた、じつは造本の一過程をなぞり直しているのではないかという思いに襲われる。
 新本の函を振って、耳に指をかけることも、わずかに縁のはりついたページをはがすことも、それをまたぱたんと閉じることも、これすべて本に空気を招き入れ、本から空気を追い出し、本を造り直す行為である。わたしは、ページをめくって本を読むという行為を通じて、本造りをなぞる。読むたびに本は造り直される。
 そんなイメージが、この本を読みながら浮かんだ。これから本を読むたびに思い出しそうだ。