クールな系統樹思考をホットに語る方法

系統樹思考の世界 (講談社現代新書)

系統樹思考の世界 (講談社現代新書)

 三中さん (id:leeswijzer) の「系統樹思考の世界」(講談社現代新書)を読む。これはとてもおもしろい読書体験だった。なぜおもしろかったかというと、読みながら、読書という時間じたいについて考えさせられたからだ。

 この本は大きく二つのパートに分かれる。
 前半では、さまざまなジャンルの系統樹思考を横断しながら、それらが、帰納法でも演繹法でもない「アブダクション」という推論形式によって支えられていることが明らかにされる。
 間奏をはさんで後半では、とくに生物学に話を絞りながら、発見的探索とアブダクションとの関係が論じられ、さらには、祖先を共有する関係図(分岐図)と、祖先子関係を特定する関係図(系統樹)との問題の違いが明らかにされる。
 コンパクトな内容ながら、生物系統学をはじめ言語学民俗学歴史学などさまざまな分野に広がる「系統樹思考の世界」の基礎を知り、その現状を俯瞰することができる。

 しかし、それだけのことなら(それだけでもたいへんなことだが)、これはよくできた入門書であり、読者はこの入門書を読み切り、この書「を」学べばよい。

 わたしがぐっと心惹かれたのは、クールな系統樹思考を語っているはずの本書に一貫して流れている、あるホットな情動だ。
 はしばしで漏らされる三中さんの生物学徒としての経歴、書物の渉猟のあとが見られる巻末付録、そしてなぜかあちこちに散りばめられたオペラの引用。これらを単に三中さんの趣味の反映と見るのは早計だろう。
 これらはむしろ、数学的にクールに「分類」されうるかもしれない系統樹的思考のバリエーションを、「樹」として物語るために導かれた表現だと思う。

 系統樹的思考を、ただのよそ事としてではなく、自分の研究生活の営みと添わせるとき、語り手は、ただ思考のタイプを分類するのではなく、思考のトークンを紡いでそこに時間の流れを見いだすことになる。そして紡ぎながら、そこに自らの情動の流れを見いだす。
 このような語りに対して読者は「この語りには、なぜこのような情動が流れているのか」と問いたくなる。もちろん、情動の流れを説明できる簡単なことばなどあるわけはない。あるわけはないから、「この情動を駆動している事情はなんなのか」を問いかけてみたくなる。
 とはいえ、自分ではないよその誰かに宛てて書かれたものについて、「なぜ」と好奇心で問うても自ずと限界がくる。その本が読者にとって切実なものとなるには、それが、他ならぬ、読者自身に向けて書かれていること、その情動の流れが、他ならぬ自分に向けられていることが感じられなければならない。つまり「この物語がなぜわたしに向けて書かれなければならなかったのか」という問いが生まれるとき、はじめて読者は、単にその書物「を」学ぶだけでなく、その書物「で」学ぶことができる。

 この本は、単に系統樹思考の基礎「を」学ぶためのものではない。この本では、人が時間の中で何かを物語るとき、つまり系統樹思考によって何かを記述するとき、思わず知らず駆動されてしまう情動が漏らされている。そして、その情動が投げかける謎に導かれて、読者はこの書物「で」学ぶことになる。極めてパフォーマティヴな一冊だ。
 だからこそ、エピローグに現れるトゥーランドットの唐突な引用も、最後に引用される短かい歌も、けして系統樹思考と無縁ではない。そんな風にこの本を/で学んだ。