声に出して話すと、なぜ間違えるのか。

 以上、昨日の「ラジオ 沼」の話を加筆訂正。わずか十数分の話もテキストにすると膨大になるなあ。

 上では修正しておいたが、録音ではどうしたことか、「ポルトガルから鉄道に乗ってスペインに行った」というような話をした。これは完全な間違いで、ほんとうはスペインのトレドからフランスに行ったのだった。スペイン内陸の砂漠風景をすっかりポルトガルとカンチガイしていたのだ。
 もう少し細かい間違いをいえば、サンディエゴからロサンジェルスまでのハイウェイは5号線であって101号線ではない(これも上では訂正しておいた)。なんだか映画の中で「101」という数字の印象的なショットがあったので(これも記憶ちがいだったらどうしよう)、つい101号線だと思っていた。

 デジオをやっていると、こういう間違いをときどきやる。この日記のように打ち込んでいるときであればまずやらないような間違いを、まったく気づかないままに犯してしまう。しかも口にしているときはけっこう本気だったりする。
 間違い間違いと書いているが、じつはこうした「間違い」には一片の真実が含まれているような気がする。何かを話しながら、頭の中で仮説やモデルめいたものが急速に形作られつつあるとき、どういうわけか記憶のあちこちが、普段とは違う形でまとまった流れをつくりはじめる。そして、この流れに乗って、あとで考えればまったくの間違いであるはずの考えが、はっきりと確信できる事実のように感じられることがある。それは、事実に照らしていえば間違いなのだが、頭の感じているリアリティの度合いで言えば、まったく正しい。
 左が海、右が砂漠、という考えを話しながら頭の中で地図がまとまろうとするとき、ポルトガルイベリア半島の端にはりついた海と砂漠にはさまれた国に思われたのだ。そしてこれはまったくの間違いというわけではない。

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