遠くで叱られる感覚と分数コード

 「憂鬱と官能を教えた学校」の重要なテーマはじつは、感情を支えるメソッドは何かという問題だと読んだ。ドミナントモーションが何かということよりも、なぜそのようなモーションがこれだけ人々の心をとらえてしまったのかが問題だ。ノウハウとしてはV7 -> Iの中に含まれるIVとVIIという音が不安定さの鍵になっているという話であり、それゆえに、V7はIIb7で代替できるという話なのだが、それより、いったん、V7 -> Iという音へ感情を乗せていくことを覚えると、最小限のきっかけで似た感情が喚起されるということのほうがおもしろい。
 ユーミンの曲に多用されるIIm7 on V -> I という進行は、IIm7 -> V7 -> Iの変形といってしまえばそれまでなのだが、VIIの音が文字通りIに「サスペンド」されたまま登場することなく解決するために、彼女の曲が持つ感情の微細なゆれ、悲しみの一歩手前で卒業して遠くで叱られる感覚をうまく支えている。
 つまり、わたしたちはもはやドミナントモーションに必須であるはずのVIIがなくとも、その気配を察することができ、ないはずのVIIを察することを通して、はかなさの感情を動かしているのだ。