The Devil in the White City(「悪魔と博覧会」)書評



The Devil in the White City: Murder, Magic, and Madness at the Fair that Changed America

The Devil in the White City: Murder, Magic, and Madness at the Fair that Changed America

 
 一九世紀末の万博と犯罪の話、と聞くと、ああ、愛知万博のようなものが昔にもあって、そこで犯罪が起こったのね、と簡単に考える人もいるかもしれない。
 
 しかしそれはかなり間違っている。
 
 その頃、万博は、国と都市の威信と未来を賭けた、まさに歴史的なイベントだった。
 一八九〇年、アメリカはまだ南北戦争の傷跡も癒えず、先進国ヨーロッパに必死で追いつこうとしているところだった。前年にパリで行なわれた万博ではエッフェル塔が立ち、世界の建築界を驚かせたところだった。もしアメリカが次の万博を開くのなら、このエッフェル塔を凌駕し、きらびやかなパリ博を凌駕するとんでもない博覧会を開く必要があった。当然、開催地の第一候補は、アメリカを代表する都市、ニューヨークであるかに思われた。
 
 しかし、そこに割って入ったのがシカゴだった。
 
 一八七一年、シカゴは一頭の牛が引き起こしたとされる大火によって、中心部がほとんど焦土と化した。ところが、この火事によって、逆に街にはかつてない建築ブームが到来した。仕事を求めて集まる人々によって人口は膨れあがった。一八九〇年、急成長を遂げたシカゴはアメリカ中西部を代表する都市となっていた。
 
 しかし、人口の急増は同時に、都市計画の未熟さをあらわにした。不十分な上下水道設計のおかげで、シカゴの川は雨のたびに逆流し、ゴミは路上に投げ捨てられていた。いまだ電灯の普及していない街にはあちこちに暗がりがあり、人々の希望や欲望を呑み込む犯罪が後を絶たなかった。この地で万博を開き、多くの観光客を招くには、単に万博会場を建設するだけでなく、新たな鉄道路線を敷設し、水を引き、宿泊施設を用意し、安全な行楽地を用意する必要があった。それは街のしくみを根本的に改めることであり、近代化することだった。  しかし、シカゴが万博開催地と決定したのは一八九〇年、残された時間は三年にも満たなかった。しかもその短期間のうちに、シカゴはパリを、そしてニューヨークを凌駕し、近代都市の栄光を全世界に知らしめなければならなかった。
 
 ラーソンは、急ピッチで進むシカゴの近代化を描くべく、二人の主役を配した。一人はダニエル・バーナム。シカゴの代表的建築を次々に手がけ、のちにサンフランシスコの都市計画を行なう、いわばアメリカを代表する建築家であり都市計画者だった。
 そしてもう一人はドクター・ホームズ。彼の端正な容姿といっけんやわらかい物腰は、大都市の魅力に惹きつけられてやってきたあまたの女性をとらえる。そして彼は、彼女たちにひそかで、禍々しい欲望を向けていくようになる。やがて彼は、万博の開催予定地であるジャクソンパークの近くの土地を手に入れると、自分の欲望をより確かに実現するべく、奇妙な間取りの建築に着手する。一八九三年、そこは万博に訪れた女性たちを宿泊させるためのホテルとなった。その名も「ワールドフェア(万博)ホテル」・・・。
 
 バーナムとホームズ。二つの視点を得たことで、この小説は立体的で読み応えのあるものに仕上がっている。万博を設計し、シカゴの都市計画じたいを見直していくバーナムによって、読者はいわば鳥瞰の視点で都市を見渡す。いっぽう、街角の小さなホテルを経営しながら、自らの欲望を推し進めていくホームズによって、読者はシカゴのとある街路から、ホテルの回廊、暗い小部屋、ペチカ、煙突の隘路にまで導かれる。鳥の眼と虫の眼を往復することで、読者は高性能ズームを備えた望遠鏡を覗くように、都市を巨視し、微視することになる。そして読者は、犯罪は単に個人の狂気によってもたらされるのではないことを知ることになる。それはむしろ、都市の中で、絞り出すように生まれ落ちるのだ。
 バーナムとホームズだけではない。ニューヨークのセントラル・パークを設計したオルムステッド、シカゴ市長に熱狂し奇妙な葉書を投函し続ける謎の男、プレンダーガスト、西部劇アトラクションの立役者にして、のちにジョン・レノンに皮肉られることになるバッファロー・ビル、現代の観覧車の創始者フェリス。シカゴ博の途方もない規模に圧倒されたある労働者は、我が子にその有様を克明に聞かせ、その子供はやがてアニメーションの道に進み、ウォルト・ディズニーと呼ばれることになる。シカゴ博は、アメリカの風土史、精神史にとって決定的な節目であり、そこは魅力的な人物たちの交差点となるのだ。
 
 それら、登場人物の一人一人に対して、ラーソンは、資料に基づき的確なキャラクターを与え、物語を豊かにしていく。得意の気象学の知識を生かしながら、十九世紀末のシカゴの空気を、その泥まみれの湖畔を、馬の背から沸き立つ湯気を、凍てつく冬に焚かれるストーブの温度を再現し、地上でじたばたともがく人々を活写し、やがて物語を万博の失望と熱狂の高みへと導いていく。最初はゆっくりと、そして着実で確かな速度で読者を魅了していくその力量は並々ならぬものだ。
 
 アメリカの犯罪史に興味を持つ人であれば、手紙や自伝、そして新聞記事から裁判記録に至るまで、入念な資料収集に裏付けられながら、犯罪のディティールに及んでいくそのめくるめく筆致に間違いなく圧倒されるだろう。しかし、これは、単なる犯罪ノンフィクションではない。わたしたちは、アメリカの一大都市が、恐るべき突貫工事によって近代化を果たしながら、あたかも巨大な観覧車のように、ぎしぎしときしみを立てていく様を克明に知ることになる。
 
 コロンブスを記念して行なわれたシカゴ万博は、巨大な復古調の建築群によって、人々を威圧し陶然とさせる催しだった。その巨大な力の行使と、そこに伴う血まみれの歴史は、そのまま、現在のアメリカの持つ矛盾へとつながっている。このノンフィクションを読むことは、けして過去の一イベントの記録を読むことを意味するのではない。

追記:2006年4月に、「悪魔と博覧会」というタイトルで邦訳が出た。ラーソンの、叙述でたたみかける間を日本語に移し替えて、緊張感のあるすばらしい翻訳なので、日本語でぜひ。