ラドゥ・マルファッティ、クラウス・フィリップ、杉本拓、宇波拓

 6/2、京都三条のギャラリー射手座で四人の演奏。左からラドゥ、クラウス、宇波、杉本の順番で配置。最前列で座布団の敷かれた床に座って鑑賞。

 とても不思議な演奏だった。全員、アタックが違うのである。
 杉本拓の柔らかいギターのアタックの後に、ラドゥの微弱なトロンボーンが加わる。ちょうど音域が近いこともあって、少しずつ絵の具を水で溶くように音が交じりながら、微細な音色の変化を起こす。と書くと簡単そうだが、じつは片方は管楽器のベルから、もう片方はギターアンプから両端で鳴っているのだから、このような交じり方をすること自体、ちょっと驚きだ。この二つの音がキャンバスの下色を広げるように、時間の流れにある種の予感めいたものを用意する。
 ところが油断ならないのは、クラウスの音で、これが、いつ鳴ったのかわからないのである。かなり耳を澄ませていたつもりなのだが、いくつかの音の始まりを聞き逃してしまった。ふつう、音は、鳴り始めることによってそれと気づき、こちらの構えを生み、こちらのメソッドを立ち上げていくものだが、クラウスの場合、むしろ、鳴りやんだときにそれと気づかせる。気づいたときはもう音が消えているのだ。つまり、音が鳴って、音楽が始まって、という風に時間が進行するのではない。むしろ、音が鳴りやんだときに、それまでの経験がまるごとひっくり返され、記憶が更新されるような感じなのだ。
 じつは、一度、完全に入眠してしまって、自分の頭がかくっとなったのにはっと気がついた瞬間があったのだが(隣の客が明らかに驚いていた。それくらい静かな演奏だった)、そういえば、クラウスの音は、浅い眠りから目覚めるときの感じに似ている。夢がなだらかに進行するというよりは、目覚めるときの一撃によって、それまでの眠りの経験が一気に広がるような、あの取り返しのつかない感じ。
 宇波くんは、テーブルにマブチモーターをいくつもおいて、これを操作しているのだが、モーターのくせに、回転するのではなく、それこそ、生き物の頭がかくっとなるような、この世で目覚めるために夢の中で死ぬような、禍々しい音が鳴る。
 ギャラリー射手座は壁を白く塗った地下の一室で、三条通りを往来する車の音、人々の会話が部屋に漏れてくる。自分のいるのは確かに部屋の中のはずなのだが、むしろここが世界の果てのような感じがする。ちょうど赤瀬川原平が、カニ缶の内側にラベルを貼り直すことで世界の側をカニ缶として外包してしまったように、この部屋の白壁の向こうが世界の中であり、ここは世界の外であり、世界の外に打ち寄せる音を遡っている。

 そして空間も時間も裏返しになった一時間(え、そんなに?)。