オーケストラという巨象

 この30年間で、ブーレーズの音楽以上に、自分の音楽の聴き方が決定的に変わってしまった。
 やはり30年前、ニューヨークフィルと彼が吹き込んだオケコンに比べれば、今夜の演奏は細部に渡ってとても考え抜かれたものだったと思うし、今まで気づかなかったフレーズだって聞こえてきた。それを「円熟」なんて紋切り型で表わしてもいいと思う。
 しかし、それよりも、オーケストラという編成じたいが、なんだかとても古い形式に思えるのはどういうわけだろう。ランズの曲は、オーケストラという古色蒼然たる伝統の果てに突然ついた新しい実だけれども、なにかそういう実のつけかたもまた、とても「クラシック」な感じがする。

 70年代中期くらいまでのブーレーズの演奏からは、たとえオーケストラであっても、ひりひりするような、張りつめて切れそうな線の音楽が聞こえてきたような気がする。それは自分が当時十代だったこととも関係しているのだろう。今夜はそんな感じにはならなかった。もう、オーケストラを聞いてそんな感じにはならないんじゃないかと思う。これは不埒な考えだとわかっているが、もう「オーケストラ」でなくてもいいじゃないか、と思ってしまう。複数のバイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバスを重ねて音を出すということ、そういう形式から出る音色を追求することに、もう必然性を感じなくなってしまっている。
 そういう自分の聴き方の変化を確かめに来たような、奇妙な感じだ。