カラオケ・ラーニング

 じゃ、そんなメソッドをいつのまに聞き手は習得したのか。ここで、長年の歌謡曲の進化の果て、という風に議論を丸投げしてもいいのだが、もう少し具体的にいこう。  たとえばカラオケ。カラオケってのはある意味で、メソッド習得のすごい練習場だと思う。
 MIDI変換されたカラオケの伴奏って、それこそ原曲からすれば耐え難い質のもんだと思うけど、それでも構わずみんな歌ってる。そもそも原曲と違うってことでいえば、自分の歌声自身、原曲と違うわけだから、カラオケという場は、いわばまがいものミーツまがいものなわけです。しかしまがいvsまがいなゆえに、原曲と違う歌を原曲であるかのように歌うには、原曲の中から取り出されたMIDIアブストラクトな音を的確に感じて、自分の声をそのアブストラクトに従わせていくという高度な技術が要求されるわけです。
 どこが高度か? 少なくとも70年代のNHKのど自慢には、レラ抜きの簡単な歌謡曲を伴奏と違うキーで歌い始めて、しかも途中でそのキーまで狂っちゃって、しかもそれにずっと気づかない人なんかいくらでもいたよ。つまり、かつては、ひとつのスケールを維持することすら難しかったわけですそれが、いまは、トリッキーなコードで導かれる難儀な転調を平気で乗り越えるばかりか、それをさらに#キーbキー押して頭がおかしくなりそうな移調してもばっちり歌える子とかがばんばんいるわけじゃないですか。この、二昔前くらいからみたら天衣無縫としか思えないスケール感やコード感はなんだ。