「ゆ」の揺れ

 浜田真理子ONJO。じつは浜田さんの歌を聴くのはCDも含めて今回が初めてだったのだが、一曲めの「Beyond」冒頭で一気に引き込まれた。いちばん最初の曲の出だしの音というのは、恐ろしいほどの緊張を強いるものだと思う。その「ゆこうよ」ということばの「ゆ」の音が、すさまじかったのだ。
 日本語のYの音は、子音と母音の中間のような位置にある微妙な音で、なかでも「ゆ」はむずかしい。それは単純に舌を上から下に移動すれば出るのではない。じつは口の形も変えてやる必要がある。わずかに横に広げた「い」に近い口をすぼめながら「う」の形にしていく。つまり、「ゆ」の発音のし始めと、し終わりで、母音の響きは微妙に変化することになる。この過程で、舌をどんなタイミングでどの程度上から下に移動するか、舌と上口蓋の間にどれくらい空気を送り込むか、声帯をどのタイミングで鳴らし始めるかによって、「ゆ」の響きは激変する。空気を送りすぎれば空気の音が入ってしまうし、声帯の鳴りが遅れれば「ゆ」というよりは「ひゅ」に近くなる。かといって、空気を節約し過ぎたり声帯を鳴らしすぎると「いう」と響く。

 歌謡曲では、「ゆ」の音の前に「い」に近い音を入れて「いゆ」と発音するやり方がよく用いられる。あらかじめ口をすぼめておけばよさそうなものだが「うゆ」と唄う人はいない。フランス語と違って、日本語には「eu」のような口をすぼめたまま舌を前に出す音がない。だから、「う」→「ゆ」と移行するよりも「い」→「ゆ」と移行するほうが楽なのだ。ちなみにこの「い」をアーフタクトに入れると、「(い)ゆめでもしあえたら」と、ちょっと蓮っ葉な歌い方になる。
 さて、回り道が過ぎた。その浜田真理子の冒頭の「ゆ」は、その「(い)ゆ」でもなければ「eu」でもなかった。小節の頭から狭まった口から、微かで、しかし確かな声帯の鳴りが漏れてきて、そこから声帯は力を抜くことなく、いつ着地したのかわからないほどのすばやく「う」へと移る。その途中で舌が移動しているはずであり、だからこそ「う」ではなく「ゆ」と聞こえるなのだが、声帯の鳴りは舌にまったく遮られていない。

 偶然なのか。それがただのまぐれではない証拠に、彼女は、この冒頭の歌のたった二フレーズの中に「ゆこうよ ゆこうよ」とYの音を四つもたたみかけてくるのだ。そのひとつひとつが確かに鳴る。
 もう、この冒頭だけで、ぼくの耳は次に彼女が発する「ゆ」の音を待ち望むようになり、すっかり引き込まれてしまった。なぜ日本語で振動をあらわすことばに「ゆ」の音が入るのかがわかってしまった気がした(ちなみに、「ゆら」、とは、物自体に潜む<たま(魂)>が自ずから発動する状態を示すことばを指す)。

 そこからあとは、加川良の「教訓I」が女性によって「しなさい」と唄われるだけでこれほど「青くなって尻込み」します、そうしますという気分になるのかとか、80年代に浅川マキの西部講堂ライブに通った身でありながら「かもめ」をまったく違う曲として聞いてしまうとか、驚愕の体験が続いたのだが、それはおそらくいろんな人が書いているだろうから略す。大友さんのアレンジは浜田さんのしゃんとした座り振る舞いが感染したような潔いもので、よけいな余韻を残さず、すっぱりと終わるものが多くてよく似合っていた。もうちょっとボーカルの肌理がはっきり聞こえてもいいかなと思ったが、西部講堂の構造からすれば最善の演奏だったと思う。